【世界遺産 平城宮を守った男達】 前編 北浦定政と関野貞

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  • Опубликовано: 18 окт 2024

Комментарии • 10

  • @berutonoue
    @berutonoue Год назад +2

    動画upありがとうございます。
    非情に興味深い内容ですね。次回も楽しみにしております!

    • @koukogaku
      @koukogaku  Год назад +1

      いつもありがとうございます。次回の棚田嘉十郎さんは奈良県人だとかなり知られているようですが、それ以外ではあまり知られていないのではないでしょうか?またご覧ください。

  • @金子宏二
    @金子宏二 Год назад +4

    日本の考古学はエドワード・モースとかウイリアム・ゴーランドとか明治になってから外国人が始めた印象があるのですが、江戸時代にもいわゆるアンティクアリアンと言うんでしょうか好古家のような人がいて北浦定政もそのような人だったのでしょうが文献などの研究だけでなく実際に調査してみようと思い立ったのが凄いと思いますね。もっと大きく注目されてもいい人だと思います。

    • @koukogaku
      @koukogaku  Год назад +1

      仰るように江戸時代はごく一部の例外を除いて、考古学というか、古物趣味的なことだったのではないでしょうか。明治時代でも基本的には遺物を中心に日本民族に対する考察をしていた段階で、遺構に対する認識はなかったと思います。それこそ関野貞が先覚者で、この後大正時代になって、平城宮の整備という名目で溝を掘った際に地下に遺構がある事がわかり、発掘調査によって遺構を確認する必要性が初めてわかったのではないかと思います。

    • @金子宏二
      @金子宏二 Год назад

      @@koukogaku 様 水戸光圀が330年前に古墳の発掘をやったなんて話もありますが今まで国学者というのは文献の研究をやっている思想家のイメージだったですね。本居宣長とか。実地調査を一生懸命にやっている人がいたのが驚きであります。

  • @かわさきみどり
    @かわさきみどり Год назад +2

    古都がすっかり忘れ去られていたのですね。だからこそ建造物が次々に復元できるのでしょうが。青丹よし…古都を体感しに出かけたいものです。駅から順に歩いて解説してくれる動画もお願いしたいです。
    甘え過ぎ?

    • @koukogaku
      @koukogaku  Год назад +1

      今行くと、展示施設も何カ所もあり、じっくり見るととても一日では見切れないです。驚きました。ご自分の足で歩かれた方がよろしいかと(笑)。

    • @かわさきみどり
      @かわさきみどり Год назад

      歩く際の解説ガイド代わりに😁「平城宮の歩き方」を。

  • @護美箱-d3n
    @護美箱-d3n Год назад

    此処はかっこいいですね!❤

    • @koukogaku
      @koukogaku  Год назад

      かっこいいというのは面白い感性ですね(笑)。色々な方々が保存に携わって来られたことを改めて感じました。余談ですが、この後藤原宮に行ったのですが、あまりにも静かで、平城宮が観光地だという事に、改めて気づきました。先人たちが現在の賑わいを見たらどのように感じるんでしょうね?